お城のデータ | |||||
所在地: | 福島県大沼郡会津美里町本郷字船場 | ||||
遺 構: | 曲輪、石垣、土塁、竪堀、横堀、堀切 | ||||
形 式: | 山城 | 築城者: | 葦名盛氏 | 築城年代: | 永禄4年 |
見 ど こ ろ | |||
向羽黒山城は、向羽黒山(岩崎山)の頂上部に築かれた「実城」の曲輪群と現在は公園となっている中腹の「中の城」を中心とした曲輪群、そして羽黒山・観音山との鞍部を中心とした三の丸・「北曲輪・伝盛氏屋敷」群の曲輪群に大きく分けることができる。 「実の城」は、もっとも戦闘的な曲輪群と云える。中の城から山頂部へと登城路を登り始めると、まず山頂から一直線に下る竪堀が出迎えてくれる。更に、土塁と三日月堀を設けた曲輪、横堀を伴った丸馬出が続き、「実の城」の枡形虎口へと至る。 山頂部の連郭式の「実の城」主郭部南側を囲繞するように横堀と土塁が防備を固めている。西側尾根筋には上杉時代の改修で2条の堀切があり、特に主郭直下の大堀切は幅約30m程あろうか、見る者を圧倒する迫力があった。 |
歴 史 | |
盛氏は嫡男盛興に家督を譲り、隠居城としてこの城を築いたが、天正3年に盛興が早世したため再び居城を黒川城(会津若松城)へ移した。 天正18年に葦名義広が伊達政宗によって滅ぼされ、黒川城に入った政宗は、黒川城より先にこの城の修築を行っている。政宗の後に会津に入った蒲生氏郷、上杉景勝も改修を行っているが、慶長6年に神指城と共に廃城となった。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR磐越西線会津若松駅〜バス/本郷インフォメーションセンター前 |
車 : | 磐越道会津若松IC〜国道121号線〜県道130号線〜県道128号線 |
駐車場: | 向羽黒山城の無料駐車場を利用。 |
ひとくち MEMO | ||||||
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