岩代 神指城


お城のデータ
所在地 福島県会津若松市神指町高瀬
遺 構 曲輪、土塁、堀跡
形 式 平城 築城者: 上杉景勝 築城年代: 慶長5年


見 ど こ ろ
 神指城は、関ヶ原前夜の風雲つげる頃に突貫工事により築かれた城だ。120万石の大名の居城として領国から集められた人夫は8万人とも12万人とも云われている。

 神指城は、東西100間×南北170間の本丸を東西260間×南北390間の二の丸が取り囲んだ輪郭式の縄張りであった。単純な縄張りは、突貫工事に適したものであり、本来ならば二の丸を更に複雑に分割し、城下町を外堀で囲む総構えが構築されたであろう。

 圃場整備で二の丸の土塁も消滅したようだが、それでも四隅に土塁が残り、本丸にも土塁と水田となっているが堀跡が明確に残っていた。


歴     史
 神指城は、慶長5年に上杉景勝によって築かれた。 慶長3年、越後春日山から会津120万石の太守として入封した上杉景勝は、蒲生氏郷の修築した会津若松城へと入った。

 景勝は、城が手狭でもあり、葦名氏の詰の城であった小田山城のある小田山からの砲撃(実際に戊辰戦争では西軍が砲撃した)を予想した直江兼続の進言により、神指城築城を命じた。

 神指城は、突貫工事により慶長5年6月には本丸・二の丸の工事が完了してたが、関ヶ原の合戦で東軍が勝利したことで神指城は未完のまま廃城となり、景勝は神指城へ移ることなく出羽米沢へと移封となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR磐越西線会津若松駅〜バス/高瀬〜徒歩約15分
 車 : 磐越道会津若松IC〜国道49号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
風雲告げる中で築かれた上杉氏の居城として築かれたお城。

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