羽前 米沢城


お城のデータ
所在地 山形県米沢市丸の内1丁目
遺 構 曲輪、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 大江時広 築城年代: 暦仁元年


見 ど こ ろ
 米沢城は、伊達政宗誕生の城でもあり、越後上杉氏が江戸時代を通して居城とした戦国ロマンをかき立てられる。関ヶ原で敗れた上杉景勝が米沢へと移り、慶長14年までに拡張整備したのが現在の米沢城だ。

 現在、本丸と二の丸の一部が上杉神社境内と松ヶ崎公園として整備され、周囲には幅の広い水濠が残っている。また、二の丸には明治になって建てられた上杉茂憲伯爵邸がある。

 城の縄張り、長方形の本丸を置き、御三階櫓が2基建てられ、北東の丑寅御三階櫓が天守相当の櫓であった。石垣は使用されていないが、現在も櫓台の土塁が残っている。二の丸は、本丸を囲繞するように輪郭式に配され、かつては土塁上に8基の隅櫓があったとか。更にその外側に三の丸があり主に武家屋敷街であった。


歴     史
( 旧上杉茂憲伯爵邸表門 )
 米沢城は、暦仁元年に大江時広によって築城されたと伝えれ、時広以後、長井氏を称した。天授6年、伊達宗遠が茂庭行朝を先鋒として置賜郡に侵攻を開始し、至徳2年に宗遠の子8代政宗が長井氏を攻め滅ばした。天文17に伊達晴宗は本拠地を桑折西山城より米沢城へとに移した。

 天正17年、17代伊達政宗が葦名義広を破り会津黒川(若松)城へ居城を移すが、天正19年には豊臣秀吉による仕置により陸奥岩出山城へと移り、伊勢松坂より蒲生氏郷が会津へと入ると重臣蒲生郷安が米沢城主となった。

 慶長2年、越後春日山から上杉景勝が会津へ移され、米沢には直江兼続が城主となった。慶長5年の関ヶ原の役で西軍に与した上杉氏は、米沢30万石へと減封されて移る。

 米沢上杉氏は寛文4年に3代綱勝が急死して吉良義央の子綱憲(綱勝妹富子の子)が末期養子となり家督を相続の時に15万石となるが、米沢から移ることなく13代茂憲の時に明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR奥羽本線米沢駅〜バス/上杉神社前
 車 : 米沢南陽道路米沢北IC〜国道13号線〜国道121号線
駐車場: 松ヶ岬公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
伊達政宗誕生の城でもあり、越後上杉氏が江戸時代を通して居城したお城。

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