上野 明徳寺城


お城のデータ
所在地 群馬県利根郡みなかみ町後閑
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 丘城 築城者: 沼田氏 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 明徳寺城は、利根川左岸の河岸段丘先端部を利用して築かれている。現在、月夜野館の駐車場脇に標柱と案内板が立てられていて、登城道を進むと直ぐ正面には虎口と両脇の土塁が出迎えてくれ、その手前の薮の中に空堀と土塁が隠れていてる。

 城の規模は小規模なものだが、その縄張りは土塁が囲繞し、さらに東から南にかけて空堀と土塁が更に防禦を強めている。資料に拠れば、曲輪内は桑畑となっていたが、本来は二つの曲輪があったとか。こじんまりしているが、馬出も含め、結構見どころの多い一城であった。


歴     史
 明徳寺城は、南北朝時代に沼田氏によって築かれた。戦国時代、沼田氏滅亡後には北条氏が沼田まで領有する。

 天正7年には武田勝頼の命を受けた真田昌幸は、吾妻岩櫃城を拠点に名胡桃城・小川城を攻略して利根川西岸まで征した。これに対抗して沼田城代藤田信吉は、明徳寺城に矢部豊後守等を入れ対峙した。翌8年に真田勢が明徳寺城を急襲してこの城を占拠、ここを橋頭堡として真田昌幸は沼田城をついに攻め落とした。

 天正17年の名胡桃事件を切っ掛けに秀吉による小田原征伐が行われ、北条氏滅亡後に沼田領が再度真田氏の所領となると明徳寺城は廃城となった。(現地案内板より)


お城へのアクセス
鉄 道: JR上越線後閑駅〜徒歩約20分
 車 : 関越道月夜野IC〜県道61号線
駐車場: みねの湯月夜野館の来客用駐車場を利用


ひとくち MEMO
桑畑の周囲にはぐるりと土塁が巡っていた・・・。

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