肥前 鍋島陣屋


お城のデータ
所在地 長崎県雲仙市国見町神代丙字小路
遺 構 陣屋門、石垣
形 式 陣屋 築城者: 鍋島信房 築城年代: 慶長13年


見 ど こ ろ
( 庭園高台から見る鍋島邸 )
( 家老職を務めた帆足家長屋門 )
 鍋島陣屋は、神代城二の丸東側下に築かれている。陣屋内の庭園高台は神代城二の丸の一角であるようだ。

 鍋島陣屋は、15間×2間の長大な長屋門が残り、門部両側から切石亀甲積みの石垣が表の街道まで続いている。陣屋内に建つ旧主鍋島氏の邸宅と庭園は、見学することができる。邸宅は幕末の万延元年に建てられた二階建て寄棟茅葺きの建物や土蔵、明治・大正時代の書院座敷などが国指定重要文化財に指定されている。

 神代鍋島家4代嵩就によって神代城東側の一帯の土地造成とみのつる川の改修し、神代小路と呼ばれる武家屋敷群が整備された。神代小路には帆足家の長屋門や武家屋敷の石垣、上小路の両側を流れる水路、中島邸の漆喰塀など、江戸時代のたたずまいを今に伝えていた。


歴     史
( 上小路通りの武家屋敷 )
 南北朝時代から戦国時代まで神代城には神代氏が居城していたが、天正15年の豊臣秀吉による九州征伐後の論功行賞で神代領3,000石は蓮池城主鍋島直茂に与えられた。

 慶長12年、龍造寺政家・高房父子の死去により鍋島勝茂を当主とする佐賀藩が成立する。翌13年に勝茂の叔父鍋島信房が肥前常広城から神代へと移り4,410石を領した。以後、島隼人佐家が代々神代を領して明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: 島原鉄道神代駅〜徒歩約10分
 車 : 長崎道諫早IC〜国道251号線
駐車場: 神代小路まちなみ交流館前の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
佐賀藩家老鍋島隼人佐家の陣屋、今でも子孫の方の住居となっている。

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