筑前 名島城


お城のデータ
所在地 福岡県福岡県東区名島1丁目
遺 構 曲輪、天守台、堀切、移築門
形 式 平山城 築城者: 立花鑑載 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ
 名将小早川隆景が築いた名島城は、三原城同様に城の石垣を博多湾の波が洗 う城だ。現在は、城山全体が名島神社の境内となっていて、参道の石段を登り詰めたところに神社の拝殿があり、このあたりが多少城の名残がある。

 拝殿の左手、 博多湾を見下ろす所が公園され、城跡碑と案内板が立てられていた。ここが名島城本丸で、ここから東側の住宅地となっている一帯に二の丸以下の曲輪群が設けられていたとか。

 公園東側の登り口付近に発掘で出土した石垣の一部が残されている。また、建物の遺構は、福岡城にある名島門、黒田氏の菩提寺崇徳寺に唐門が移築され現存している。


歴     史
 名島城は、天文年間に立花山城主立花鑑載によって立花山城の支城として築かれた。

 天正15年、備後三原城主小早川隆景は、豊臣秀吉の九州征伐後、筑前一国・筑後・肥前の一部で542,500石に加増されてこの地に入封した。水軍の将でもあった隆景は、船溜まりを備えた城に名島城を大改修した。その後、隆景は、秀吉の甥秀秋を養子に迎えて家督を譲ると備後三原に隠居する。(慶長2年没)

 慶長5年、関ヶ原の戦功により小早川秀秋は備前岡山城へ転封し、その後には、黒田長政が豊前中津から52万石の太守となって入城した。慶長7年、長政は福岡城を新たに築いて移り、名島城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR鹿児島本線博多駅〜地下鉄貝塚駅〜西鉄宮岳線名島駅〜徒歩約15分
 車 : 九州道福岡IC〜都市高速道路1号線名島IC〜市道
駐車場: 名島神社の参拝者用駐車場利用。


ひとくち MEMO
博多湾を押さえるために築かれた水軍のお城。
  • 名島城の城門移築先
    名島門 福岡城 : 福岡県福岡市中央区城内
    唐門 崇福寺 : 福岡県福岡市東区千代4丁目

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