お城のデータ | |||||
所在地: | 岡山県岡山市北区撫川 | ||||
遺 構: | 曲輪、現存門、石垣、土塁、堀 | ||||
形 式: | 平城 | 築城者: | 三村家親 | 築城年代: | 永禄2年 |
見 ど こ ろ | ||||
本来、撫川城と庭瀬城は同 一の城だったが、江戸時代に撫川城の一部を利用して庭瀬城が築かれ、違う曲輪に単郭の陣屋が築かれた。しかも、藩主が入れ替わる中で、こんなに近い場所に二人の藩主がいたのにはびっくりした。もっとも撫川は旗本領であったが。 城跡は、四方を水堀で囲まれた小さな城だ。城への虎口は東側1ヶ所だけだが、ここに表門が現存している。城の南・西面には野面積みの石垣が残っ ている。南西部には隅櫓が在ったと思われる石垣の張り出しが見受けられ、 同様に東南隅にも櫓台の名残と思われる土塁が残っている。 |
歴 史 | ||
天正10年、備中高松城攻防の折りには、羽柴秀吉によって攻められ落城した。城は、宇喜多氏の所領となり戸川氏が城主となった。 慶長5年、関ヶ原の戦功により戸川逵安が旧領を回復し、撫川城の東に庭瀬城を築いた。庭瀬の戸川本家改易後、分家戸川逵富が5,000石を賜ってお家再興を許された。逵富は撫川城本丸のみを拝領しここに居を構えた。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR山陽本線庭瀬駅〜徒歩約10分 |
車 : | 山陽道岡山IC〜国道2号線〜県道151号線 |
駐車場: | 撫川城趾公園の無料駐車場を利用。 |
ひとくち MEMO | ||||||
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