三河 野田城


お城のデータ
所在地 愛知県新城市豊島j字本城
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 平山城 築城者: 菅沼定則 築城年代: 永正2年


見 ど こ ろ
 野田城跡は、本丸・二の丸・三の丸と形態は残っているが、ほとんど雑木林と化している。二の丸から散策道がある。

 二の丸と本丸の間には空堀と土橋が残っている。土橋を渡った右側に「野田城址」の石碑が建つ。左側の一段高くなった所に祠がある。祠下の土塁からみて、昔は櫓があったと想像できる。


歴     史
 野田城は、永正2年に菅沼定則によって築かれた。定則は、田峯城主菅沼定忠の三男で、富永荘の地頭富永直郷の後継として野田館へ入り、野田菅沼氏の祖となった。

 元亀3年、上洛の途についた武田信玄は、三方ヶ原で徳川家康を敗走させると、翌天正元年正月には菅沼定盈の籠もる野田城を攻める。この城攻めで信玄は、金山抗夫を使って水脈を断つ作戦で落城させた。信玄は、野田城攻めで鉄砲に撃たれ負傷し、その傷が元で死亡するとの説もあるが、ともかく病(結核)が重くなり、上洛の夢が破れて信州駒場で亡くなった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR飯田線野田城駅〜徒歩約15分
 車 : 東名豊川IC・新東名高速新城IC〜国道151号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
武田信玄最後の城攻めを行ったお城。

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