羽後 沼館城


お城のデータ
所在地 秋田県横手市雄物川町沼館
遺 構 曲輪、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 沼館城は、雄物川東岸の河岸段丘を利用して築かれた城だ。後三年の役に清原家衡の居城であったころは、沼に囲まれた水城であったと考えられる。沼の柵を引き継いだ沼館城も同様に水城であったのだろう。

 城の縄張りは、蔵光院の境内となっている所が本丸、雄物川北小学校敷地が二の丸、小学校北側の住宅地から八幡神社までの辺りが三の丸であった。

 現在は、蔵光院の山門前に城石碑と案内板が立てられていって、寺を取り囲むように残る土塁は見応えのあるものだ。また、西側には寺から小学校まで堀が良く残っていた。


歴     史
 沼館城(沼の柵)は、築城年代や築城者については諸説有り定かでないが、前九年の役が終わった康平5年以降清原氏の本拠であった。

 永保3年に始まった後三年の役では、源義家・清原清衡に攻められた清原家衡は叔父清原武衡の献策により本拠を金沢柵へと移した。

 沼の柵は、その後どのような歴史を辿ったかは定かでないが、戦国時代になると、小野寺氏が横手盆地中心部へ進出し、正安2年に小野寺道有が荒廃していた沼の柵を修築し、重臣落合氏を配したと云われている。

 戦国時代になると小野寺稙道は居城を稲庭城から沼館城へと移した。天正5年、小野寺輝道は横手城へと居城を移し、沼館城には一族大築地秀道を城代として入れた。

 天正18年、豊臣秀吉の奥州仕置の際に行われた太閤検地に反対して一揆が起こり、この時最上義光によって攻められた。その後、慶長5年に関ヶ原の役で西軍に与した小野寺氏は改易となり、この時に沼館城も廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR奥羽本線横手駅〜バス/沼館
 車 : 秋田道横手IC〜国道107号線〜県道48号線
駐車場: なし。(雄物川北小学校の来客用駐車場を拝借)


ひとくち MEMO
後三年の役から戦国時代まで使われたお城。

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