お城のデータ | |||||
所在地: | 奈良県天理市柳本町 | ||||
遺 構: | 曲輪、土塁、石段、竪堀 | ||||
形 式: | 山城 | 築城者: | 十市遠忠 | 築城年代: | 天文5年 |
見 ど こ ろ | ||||
この城へのアクセスは、天理ダムから林道天理ダム藤川線を車で登るのが一番。 JR柳本から徒歩で登るルートもあるが、標高585メートルの龍王山頂にあるこの城を攻めるには、このルート時間と体力のある方以外にはお薦めでない。 龍王山城は、松永久秀の信貴山城、筒井順慶の椿尾城とともに、大和三大中世山城ともいえる大規模な城だ。 城は、北城と南城の2つの城から構成されている。 北城は、植林が随分されていて樹が乱立状態だが、規模も大きく城内への虎口の喰い違い土塁、丸堀も良く残っいる。 竪堀群が太鼓丸南側あり見応えがある。 南城は、北城に比べて規模は小さいが、整備はこちらの城が進んでいて、本丸・二の丸・三の丸それぞれの様子が良くわかる。 各郭の間に石段が残っている。 南城からは、大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)が大和平野に浮かぶ光景が一望でき、大和の城のお薦めスッポトだ。 |
歴 史 | ||
天文5年、十市遠忠がそれまであった城を改修し、新たに北城を築いたといわれている。 子の十市遠勝の代には、筒井氏と松永氏の勢力争いに翻弄され続ける。 遠勝は、宇陀秋山城の秋山氏に攻められ、城を捨て落城する。 龍王山城には、一時秋山氏がいたが、織田信長の大和侵攻後、十市遠勝が再び城主に帰り咲くが、永禄12年に遠勝が急死し、十市氏は滅びた。 その後、城は信長の命により廃城となった。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR桜井線柳本駅〜徒歩 |
車 : | 西名阪天理IC〜国道25号線(旧道)天理ダム〜林道 |
駐車場: | 北城下に無料駐車場(5台)あり。 南城なし(路上駐車可、Uターン一苦労覚悟) |
ひとくち MEMO | ||||||
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