遠江 相良城


お城のデータ
所在地 静岡県牧之原市相良
遺 構 石垣、土塁
形 式 平城 築城者: 田沼意次 築城年代: 明和4年


見 ど こ ろ
( 本丸跡に立つ石碑 )
 権勢を誇った田沼意次の失脚、意次が築いた相良城は、「田沼意次憎し」の一念か? 老中松平定信の命で徹底的に破壊されてしまった。

 現在の相良城は、相良町役場・相良小学校・相良中学校の敷地になっている。役場の一角にある郷土資料館前に、徳川家達書による相良城趾の石碑が建っている。資料館の職員の方のお話では、市役所庁舎前の道路が内堀跡とか。

 小学校正門脇に二の丸の土塁の一部と松が残されている。また、仙台河岸の石垣が僅かに残っている。この石垣は、仙台城主伊達重村の協力によって築かれたことから、この名が付いたそうだ。


歴     史
( 仙台河岸の石垣 )
( 移築書院の内部 )
 相良城の前身は、平安末期に相良荘を領した肥後人吉城主相良氏の先祖相良周頼の館(相良館)、戦国時代に武田勝頼が築いた相良古城だ。その後、相良御殿となり、江戸時代には本多・板倉・本多氏1万石の所領となった。

 近世城郭相良城は、明和4年に田沼意次が築城したものである。権勢を誇った意次が、57,000石を領して、その格式によって城は築かれた。しかし、松平定信が老中になり、田沼意次は失脚する。意次の家督を嗣いだ意明は、天明7年に陸奥下村へ移封。相良城は廃城となり破却された。 

 その後、天領を経て、文政8年に陸奥下村から田沼意正が、1万石で旧領相良に復帰、以後3代続いて明治に至った。慶応4年、徳川家達が駿河駿府へ移封されたことに伴い、田沼意尊が上総小久保に移され陣屋を構えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線静岡駅〜静鉄バス特急相良営業所行/終点
 車 : 東名高速相良牧ノ原IC〜国道473号線
駐車場: 相良町役場の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
田沼意次が築いた近世城郭も一代限りで破却さてれしまった。
  • 相良城書院の移築先
    大慶寺 静岡県藤枝市藤枝4丁目2−7

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