河内 下赤阪城


お城のデータ
所在地 大阪府南河内郡千早赤阪村森屋
遺 構 なし
形 式 山城 築城者: 楠木正成 築城年代: 元弘元年


見 ど こ ろ
 下赤阪城は、金剛山の支脈の一端甲取山に築かれた城だ。楠木正成ゆかりの3城(千早城上赤阪城・下赤阪城)の中でこの城だけが遺構が何も残っていない。千早赤阪中学校の裏手の丘陵の一角に石碑と案内板があるだけだ。また、役場駐車場の一角にも案内板がある。

 石碑の在る場所からは、城の背後の谷には「赤阪の棚田」の風景が広がる。この風景は、都会の雑踏の中に暮らす身にとって何故か安らぎを与えてくれる。


歴     史
( 「赤阪の棚田」の風景 )
 元弘元年、後醍醐天皇が山城笠置山に遷幸された時、楠木正成は笠置山陥落後に備えて築城した。

 後醍醐天皇は、笠置山陥落後捕らえられて、正成は護良親王を奉じて、この城で倒幕の兵を挙げた。しかし、笠置山を陥落させた鎌倉幕府軍によって城は落城、正成らは金剛山中へと逃れた。

 その後、楠木正成が湊川の合戦で討ち死にした後は、楠木正儀がこの城に拠ったが、延文5年北朝方により攻められ城を捨てている。


お城へのアクセス
鉄 道: 南海高野線河内長野駅、近鉄長野線富田林駅〜バス/千早赤阪中学校前
 車 : 阪和道美原北IC〜国道309号線/千早赤阪村森屋〜府道705号線
駐車場: なし(千早赤阪村役場の駐車場を利用)


ひとくち MEMO
石碑しかないお城よりも「棚田」の風景が印象的。

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