伊豆 山中城 岱崎出丸


お城のデータ
所在地 静岡県三島市山中新田
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 山城 築城者: 北条氏政 築城年代: 天正17年


見 ど こ ろ
( 摺鉢曲輪見張台と土塁 )
 山中城岱崎出丸は、山中城本丸から南に派生する尾根筋が東海道に沿って西へと屈折する先端部を利用して築かれてる。北側を通る東海道(旧東海道が本城と出丸の間を通る)を側面から押さえた出丸(砦)だ。

 出丸の縄張りは、東海道に沿って伸びる尾根筋の最高所に御馬場曲輪が置かれ、御馬場堀を隔てて未完成の曲輪が並び、更に先端部に摺鉢曲輪が設けられていた。未完に終わった岱崎出丸だが、深い御馬場堀や御馬場曲輪の東海道側には一直線に築かれた土塁、その外側に掘られた畝堀の遺構が見応えがあった。


歴     史
( 御馬場堀 )
 山中城岱崎出丸は、天正17年に北条氏政は天下統一を目指す豊臣秀吉との緊張が高まると、壬生義雄に命じて岱崎出丸を含む山中城の大規模な改修が行われた。この普請は翌年まで継続して行われたが、未完のまま豊臣氏との開戦となった。

 天正18年、豊臣秀吉による北条征伐の始まる。山中城は、小田原城防衛の最前線となり、城代松田康長ら4千の将兵が籠城した。岱崎出丸には間宮康俊が守将として入ったが、徳川家康・豊臣秀次を主力とする総勢7万の大軍の前には為す術もなく僅か半日で落城してしまった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線三島駅〜バス/山中城趾
 車 : 東名沼津IC〜国道1号線
駐車場: 山中城の無料駐車場(50台程度)を利用


ひとくち MEMO
東海道を側面から押さえた山中城の出丸(砦)。

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