美濃 玉 城


お城のデータ
所在地 岐阜県不破郡関ヶ原町玉
遺 構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 関ヶ原から近江への山峡を東海道本線と名神国道・国道21号線が走ってる。この山峡の東側が城山、西側が松尾山だ。関ヶ原の合戦の折には城山の東麓に大谷吉継が布陣したところだ。

 玉城は、この城山山頂に築かれていて主郭部分が公園化されている。 主郭部の北側と主郭内は下草も刈られているが、それ以外の城域はほとんどブッシュに覆われ、遺構の確認には苦労させられる。

 縄張りは、南北に延びる城山山頂部に主郭を置き、南側の尾根筋を堀切で断ちきって防備を固めている。主郭西側に一段下がって曲輪があり、この下から南側の堀切までの間には畝状竪堀と土塁の遺構を確認することができた。


歴     史
 玉城は、築城年代や築城者について定かでないが、南北朝時代に佐竹義春が足利尊氏に追われここに砦を築いたと伝えられ、戦国時代には岩手城主竹中氏の家臣杉山内蔵之介が居城した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線関ヶ原駅〜バス/山中
 車 : 名神関ヶ原IC〜国道21号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
不破の関を見下ろす城山(玉城)の東麓が大谷吉継終焉の地。

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