大和 多聞山城


お城のデータ
所在地 奈良県奈良市多門町
遺 構 堀切、土塁
形 式 平山城 築城者: 松永久秀 築城年代: 永禄3年


見 ど こ ろ
 「多聞櫓」の呼び名発祥の城、多聞山城は今では遺構らしきものは何も残っていない。現在、城跡は市立若草中学校の敷地となってるので、無断で構内をうろつくわけにも行かず、堀切等は確認できなかった。中学校の正門を入った所に「多聞山城址」の石碑が建っている。石碑から校舎に向かって長い石段があり、「ここが城跡だ」と僅かに感じさせられる。

 安堵町にある中氏屋敷に隣接する豆福堂石田邸ギャラリー「多聞庵」には、多聞城廃城の折りに筒井順慶の一族石田氏に譲られ移築されたと伝わる城門が残されている。


歴     史
( 石田邸ギャラリー多聞庵 )
 永禄3年に信貴山城主松永久秀が東大寺大仏殿の北にある眉間寺山(佐保山)に多聞山城を築いた。この城は、信長の安土城にも大きな影響を与えた。 

 天正元年、多聞城は織田信長によって接収され、佐久間信盛・明智光秀が守将となったが天正5年に廃城となった。城の石材は大和郡山城築城に際して運ばれている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR関西本線奈良駅、近鉄奈良線近鉄奈良駅〜バス/手貝門前
 車 : 第二阪名宝来出口〜国道369号線、西名阪郡山IC〜国道24号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
『多聞櫓』発祥のお城も今は跡形もない。
  • 多聞城城門の移築先
    豆福堂石田邸ギャラリー「多聞庵」 奈良県生駒郡安堵町窪田138

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