筑後 鷹尾城


お城のデータ
所在地 福岡県柳川市大和町鷹ノ尾
遺 構
形 式 平城 築城者: 田尻親種 築城年代: 天文4年


見 ど こ ろ
 筑後の名族田尻氏の居城鷹尾城は、鷹尾神社境内から西側の集落一帯に築かれていて、現在は集落内に堀が用水路として残っている。

 宅地化で城の縄張りは、推定の域を脱することができないが、集落西端の堀が城の西端にあったり、この辺りを大手口(小字が残る)とし、東端が鷹尾神社山門前の用水路と道路のラインだ。集落内には、東西両堀跡の間に4条の堀跡が見受けられ、4〜5つの曲輪から形成されていたと考えられている。


歴     史
 鷹尾城は、天文4年頃に田尻親種によって築かれた。田尻氏は、豊後大友宗麟に従っていたが、天正6年には肥前龍造寺隆信に従った。天正9年に龍造寺氏により柳川城主蒲池鎮並謀殺後の蒲池氏との戦いでは、田尻鑑種は龍造寺方として出陣しているが、この戦いが起因となり龍造寺氏に叛旗を翻した。

 天正10年に龍造寺政家を総大将とする大軍が鷹尾城を攻めたが落とすことが出来ず、天正11年には和議が成立し、鑑種は城を明け渡して堀切城へと移った。

 同年、龍造寺隆信が沖田畷の合戦で島津氏に敗れ討死すると、豊後大友氏は筑後へ侵攻し、鷹尾城は大友氏の勢力下に置かれ、天正15年には柳川城主立花宗茂の所領となり立花三左衛門が城代となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 西鉄天神大牟田線中島駅〜徒歩約15分
 車 : 九州道八女IC〜国道442号線〜県道83号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
筑後の名族田尻氏の居城。

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