遠江 飯田城


お城のデータ
所在地 静岡県周智郡森町上飯田
遺 構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
形 式 丘城 築城者: 山内道美 築城年代: 応永年間


見 ど こ ろ
( 本丸西側の土塁 )
 飯田城は、太田川左岸に南北に連なる宇刈丘陵の西側に伸びる支尾根先端部を利用して築かれている。

 飯田城は、丘陵側は谷堀と称される自然地形で背後が遮断され、支尾根の最高所に物見曲輪を置き、その西側に三方を土塁で囲まれた主郭、更に南側に一段低く二の曲輪が配置された縄張りとなっている。

 主郭西側の山麓部に居館が設けられ、南の尾根筋から二の曲輪へと登城道が通じ、二の曲輪の大手口下には堀切が設けられている。また、搦手とも云える居館から北西の尾根筋には二重の堀切が防備を固めていた。 


歴     史
( 二の丸西側の虎口 )
 飯田城は、応永年間に山内道美によって築かれた。山内氏は、備後甲山城主山内氏の一族(土佐山内氏も同族)で南北朝時代に山内通弘・通秀の時に天方城を築いた。応永7年頃に山内道美が天方から南下して飯田郷に入り、後に飯田城を築いて居城を移した。

 戦国時代の山内氏は今川氏の被官で、山内通泰は桶狭間の敗戦後も今川氏に従っていた。このため、永禄12年に徳川家康によって天方城と共に攻められ落城した。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線袋井駅〜バス/飯田
 車 : 新東名遠州森町SIC〜県道40号線〜県道58号線
駐車場: 崇信寺の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
室町時代から戦国時代まで飯田荘を領した山内氏の居城。

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