大和 宇陀松山陣屋


お城のデータ
所在地 奈良県宇陀市大宇陀春日
遺 構 現存門、石垣
形 式 陣屋 築城者: 織田信雄 築城年代: 元和元年


見 ど こ ろ
( 春日門の石垣 )
 宇陀松山陣屋は、松山の城下町を挟んで織田信雄が築いた長山陣屋と孫の長頼が築いた松山新陣屋(春日)と2ヶ所ある。長山陣屋は、現在の宇陀市役所大宇陀地域事務所(旧大宇陀町役場)一帯に築かれ、遺構などは何も残っていない。

 春日の新陣屋は、春日神社の北側にある天理教宇陀分教会の敷地一帯に築かれていた。春日神社参道に春日門跡が残っている。春日門は、陣屋・武家屋敷地と城下町の町人町を区分した虎口で付け櫓を伴う様式であった。門跡には、虎口を構成する東西2つの櫓台の石垣(一部積み直されている)が現存している。また、城下には西口門が現存している。


歴     史
( 上屋敷付近 )
 宇陀松山陣屋は、元和元年に織田信雄によって築かれた。信雄は大和・上野国内で5万石を領し、長山の地に陣屋を構えた。元和3年に四男信良に上野小幡2万石を分知して信雄自身は31,200石を領した。寛文11年、3代長頼は秋山城の麓の春日の地に新たな陣屋を建築し、「松山新陣屋」と称した。

 元禄7年、4代信武は「宇陀崩れ」と云われるお家騒動の結果自殺したため、この騒動により5代信休は丹波柏原2万石に減封となった。この時、幕府により織田信長の子孫として国主としての格式を剥奪された。松山の地は、織田氏移封後は天領となっている。


お城へのアクセス
鉄 道: 近鉄大阪線榛原駅〜バス/大宇陀バスセンター
 車 : 西名阪道針IC〜国道369号線/榛原〜国道370号線/大宇陀
駐車場: 大宇陀バスセンター(道の駅)の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
織田信雄の晩年の居城。

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