下総 山川綾戸城


お城のデータ
所在地 茨城県結城市山川新宿字古城跡
遺 構 曲輪、土塁、堀跡
形 式 平城 築城者: 山川氏 築城年代: 永禄8年頃


見 ど こ ろ
( 三の曲輪の土塁 )
 綾戸城は、山川沼(現在は埋め立てられ水田や畑地となっている)に突き出した舌状台地の先端部を利用して築かれ、現在の山川不動尊のある山川新宿の集落から西側にある畑地一帯が綾戸城の城域であった。

 綾戸城は、台地先端部に本丸を置き、北に向けて二の丸・三の丸と並んだ連郭式の縄張りであった。水野氏による改修では三の丸を本丸として、壬生藩の采地陣屋も水野氏時代の本丸にあった。尚、農地や宅地化で遺構は殆ど残っていないが、三の丸北側に土塁一部が残っている。


歴     史
 綾戸城は、永禄8年頃に山川氏によって築かれた。山川氏重が、結城晴朝と共に北条氏と対立していた頃の築城であったと推定されている。天正5〜6年に綾戸城は北条氏に攻められたが、佐竹氏らの後詰めにより落城を免れている。慶長6年に山川晴重・朝貞父子は結城秀康の越前移封に従って移った。

 元和元年に水野忠元が3万石を領して入り城と城下の整備を行った。寛永12年には2代忠善が駿河田中へと移封され城は廃城となり、寛永16年に三浦正次が下野壬生に入り、山川領6,900石は壬生藩領の飛び地となり、綾戸城跡に采地陣屋が置かれ明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR水戸線結城駅〜バス/山川新宿
 車 : 圏央道五霞IC〜国道4号線〜国道125号線〜県道23号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
山川氏が築き水野氏が改修したお城。

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