大和 赤埴上城


お城のデータ
所在地 奈良県宇陀市榛原区赤埴上俵
遺 構 曲輪、土塁、空堀、土橋
形 式 丘城 築城者: 赤埴氏 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 赤埴上城は、赤埴集落最奥、赤埴から諸木野へ抜ける山道を押さえるかのように位置している台地に築かれている。山道沿いにある城への道しるべから約5分も登れば赤埴城だ。

 赤埴城は、山内型方形居館形式を基本に時代と共に拡張された縄張りとなっている。主郭は方形で南に虎口を開き、南から東へと土塁と空堀が施され、見応えのある遺構であった。

 また、主郭南側に更に方形の二の曲輪があり、L字形に土塁と空堀が残っている。更に、主郭と池と谷を挟んだ東側台地の北側先端部に出城的な北の曲輪があり、ここにも土塁と空堀が良く残っていた。


歴     史
 赤埴上城は、南北朝時代に赤埴氏によって築かれた。赤埴氏は、南北朝時代には南朝方として活躍した。その後、赤埴氏は伊勢国司北畠氏に従い、宇陀七人衆の一人に数えられ、文明3年の北畠教具の井足山城攻めに戦功をあげている。
 
 天正4年に北畠氏が滅亡すると、城主赤埴信安は郡山城主筒井順慶に従った。天正13年に筒井定次が伊賀上野への移り、大和一国は豊臣秀長の所領となった。慶長2年に秋山城主となった福島孝治に赤埴信安の嫡子安忠が出仕している。


お城へのアクセス
鉄 道: 近鉄大阪線榛原駅〜バス/高井
 車 : 名阪国道針IC〜国道369号線
駐車場: なし。(登城口に車1台停車可能なスペースあり。)


ひとくち MEMO
宇陀七人衆の一人赤埴氏の居城。

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