岩代 檜原城


お城のデータ
所在地 福島県耶麻郡北塩原村檜原
遺 構 曲輪、土塁、横堀、竪堀
形 式 山城 築城者: 伊達政宗 築城年代: 天正13年


見 ど こ ろ
 檜原城は、米沢から猪苗代・大塩方面へと南下する会津街道が眼下に通る桧原湖畔の館山山頂に築かれている。もっとも政宗が築いた当時は桧原湖はなく、現在よりも比高差が約100mも高かったとか。

 城の縄張りは、館山山頂部に一の曲輪を置き、堀切を隔てて北側に二の曲輪、一の曲輪南側には連続する枡形虎口が設けられ、南に続く尾根筋を削平して三の曲輪を配している。更に大手道が通る先端部に向けて三重の堀切が防備を固めている。

 この城の特徴は、何と云っても一の曲輪・二の曲輪・三の曲輪を囲繞する横堀と土塁の遺構だろう。横堀を多様する縄張りはよく見かけるが、ぐるりと囲繞する横堀の遺構を初めて見て久しぶりに興奮し、残雪の上を走り回ってしまった。


歴     史
 檜原城は、天正13年に伊達政宗によって築かれた。政宗は、葦名氏攻略のため檜原に着陣、葦名氏方の柏木城攻略を試みたが、成功せずに出羽米沢へと戻る。政宗がこの柏木城攻略と猪苗代氏への内応策の間に檜原城を築城し、後藤孫兵衛を城代としている。

 天正17年に摺上原の合戦では、政宗の家臣原田宗時らがそれに連動するように葦名氏方の柏木城攻略を試みた。しかし、葦名方は柏木城を捨て黒川城へと撤退して戦いとはならなかった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR磐越西線喜多方駅〜バス/裏磐梯高原駅〜バス/金山
 車 : 磐越道猪苗代磐梯高原IC〜国道115号線〜国道459号線〜県道2号線
駐車場: なし。(西側登城口前に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
伊達政宗が葦名氏侵攻の為に築いたお城。

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