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( 烟田城の説明板と土塁 ) |
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( 氷川神社本殿背後の土塁 ) |
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( 僅かに残る内堀 ) |
烟田城は、築城年代は定かではないが烟田氏によって築かれた。烟田氏は、鹿島氏の一族徳宿秀幹の三男朝秀が天福2年に烟田・富田・大輪田・生井沢の4ヶ村を分知され烟田に居を構えて烟田氏を称した。烟田氏は、南北朝時代の争乱期から応永23年の上杉禅秀の乱では鹿島氏を惣領家として行動を共にしている。
文明18年、徳宿城主徳宿定幹を水戸城主江戸通雅が攻めた徳宿合戦で、定幹以下一族郎党共に討死して徳宿氏は滅亡した。江戸氏と徳宿城救援に駆けつけた鹿島勢との縦山の合戦で江戸氏が勝利する。この戦いで徳宿氏に加勢していた烟田氏は和睦するが、その勢力は衰え没落していく。
天文7年、烟田泰幹が烟田へ復帰して烟田城を本格的に築く。その後、烟田氏は鹿島氏惣領家の内紛、江戸氏の鹿島郡への侵攻に備えて次第に烟田城の拡張を行っている。
天正18年、18代烟田通幹は佐竹義宣に従って小田原征伐に参陣して本領を安堵されたが、翌年に佐竹氏による南方三十三館の仕置きで鹿島城主鹿島清秀らと共に常陸太田城にて謀殺された。国人衆を粛清した佐竹義宣は鹿島郡へ軍勢を進め、烟田城も佐竹勢に攻められ落城して烟田氏は滅亡した。 |