肥前 鹿島城


お城のデータ
所在地 佐賀県鹿島市高津原字城内
遺 構 現存門、多聞櫓、石垣、堀
形 式 平山城 築城者: 龍造寺隆信 築城年代: 天正4年


見 ど こ ろ
 街の中にある大手門(これも赤く塗られている)から鹿島高校に向けて階段 式に地形は高くなり、高校に至る道も鍵形に折れ曲がり、ここが鹿島城内であることがよく分かる。

 本の丸が鹿島高校の敷地となっていて、正門には長屋風の多聞櫓と薬師門形式の赤門が残っている。また、正門前から東側にかけて堀があり、東面には石垣が累々と残っている。城の南側には低い石垣が連なり、道路を挟んで武家屋敷の家並みが今も残っている。 


歴     史
 鹿島は、大村・有馬・千葉氏の勢力争いの地であったが、天正4年に龍造寺隆信が日之江城主有馬氏を破り、鍋島信房に命じて常広城(鹿島城の前身)を築かせた。

 鍋島直茂が肥前佐賀城主となり、鍋島体制が確立すると、鍋島直茂の次男忠茂が、25,000石を領して常広城主に封じられ、佐賀鍋島氏の三支藩(小城蓮池・鹿島)の一つ鹿島鍋島家となった。 

 文化3年、鹿島9代藩主鍋島直彬は、常広城が水害の常襲地帯であったため、幕府の許可を得て高津原の地に築城した。維新後、明治7年の江藤新平による佐賀の乱に際して、鹿島城は焼き払われた。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR長崎本線肥前鹿島駅〜バス/城内
 車 : 長崎道武雄南IC〜国道498号線〜国道207号線
駐車場: なし。(赤門前に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
長屋風の多聞櫓と薬師門形式の赤門が残るお城。

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