肥前 佐賀城


お城のデータ
所在地 佐賀県佐賀市城内1丁目
遺 構 天守台、現存門、復元御殿、土塁、石垣、堀
形 式 平城 築城者: 鍋島直茂 築城年代: 慶長7年


見 ど こ ろ
 佐賀城の象徴とも言える鯱の門は、天保9年に本丸正門として建てられたものだ。明治7年の佐賀の乱による弾痕が、門の扉に残されてた。

 かつては、蓮池城から移築された五層の天守が聳えていた天守台、その天守台から続く石垣の塁上には多聞櫓が建てられていたのであろう、そして鯱の門 へと本丸の石垣は廻っている。

 本丸には本丸御殿(佐賀城本丸歴史館)、本丸西門(実際より4mほど本来の位置から下がって石垣が復元)から南西隅櫓、土塁が復元され、往時の本丸の姿がよみがえった。後は、五層天守の復元か・・・・?

 佐賀城の周囲を回る幅の広い水堀は、東側が埋め立てられているが、残る三方は今も健在。特に、西側に堀と土塁が「これぞ、お堀端!」って感じだ。


歴     史
 佐賀城は、龍造寺隆信の居城村中城を拡張して築城された。村中城は、龍造寺氏累代の本城で、天正12年に島原で隆信が討ち死にし、実権は鍋島直茂に移った。直茂は、慶長12年まで主家龍造寺政家・高房が存命で、名目的には龍造寺氏の居城あったため、蓮池城を鍋島氏の本拠としていた。

 鍋島直茂は、慶長7年から佐賀城築城を始め、慶長16年に完成した。佐賀城が名実共に鍋島氏の居城となったが、それまでの居城蓮池城は、元和の一国一城令によって廃城になった。

 佐賀鍋島氏は、初代藩主を直茂の嫡男勝茂として、11代続いて明治に至った。歴代の藩主の中で、幕末の動乱期に富国強兵政策を採り、佐賀藩を最強軍団と言われるまでに仕上げた、10代斉正(閑叟)があまりにも有名である。

 尚、鍋島氏は、江戸時代を通じて領内に3支藩(小城蓮池鹿島)を設け、また重臣にも采地(神代諫早等)経営を許していた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR長崎本線佐賀駅〜バス/県庁前
 車 : 長崎道佐賀大和IC〜国道263号線
駐車場: 鯱の門前の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
幅の広い水堀が幾重にもめぐらされていたお城。

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