紀伊 太田城


お城のデータ
所在地 和歌山県和歌山市太田2丁目
遺 構 移築現存門
形 式 平城 築城者: 紀 俊連 築城年代: 延徳年間


見 ど こ ろ
 太田城は、備中高松城武蔵忍城と共に豊臣秀吉が水攻めを行った城として有名だ。しかし、他の2城は多少たりとも城跡は堀などの遺構とともに残っているが、この太田城は何も残ってない。建物の遺構として唯一、大立寺山門に、太田城の大門が移築されて現存している。

 来迎寺がある場所が本丸跡で、城は約250m四方の規模の城であったとか。城の規模としては小規模な城である。


歴     史
 延徳年間に国造紀俊連が築き、戦国時代の天正4年に太田源太夫が修築した。天正13年、豊臣秀吉は6万の大軍を率いて紀伊征討を行った。この時、根来・雑賀衆と共に太田左近宗正を中心とする太田党も秀吉に臣従せず、太田城に籠城した。根来寺を焼き討ちにした秀吉は、太田城を得意の水攻めするが、城は容易に落ちなかった。しかし、籠城1ヶ月余り、疲れ果てた太田一族は自刃し、城を開城した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR阪和線和歌山駅、南海電鉄南海本線和歌山市駅〜徒歩約10分
 車 : 阪和道和歌山IC〜国道24号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
豊臣秀吉に水攻めされたお城。
  • 太田城の城門移築先
    大立寺 和歌山県和歌山市橋向丁

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