武蔵 忍 城


お城のデータ
所在地 埼玉県行田市本丸
遺 構 復興御三階櫓(天守)、模擬門、曲輪、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 忍氏 築城年代: 鎌倉時代


見 ど こ ろ
 関東七名城の一つに数えられている忍城は、備中高松城紀伊太田城と共に豊臣秀吉に水攻めされた城として有名だ。その中でも唯一、忍城は水攻めにも耐えて落城しなかった城である。水攻めの時に築かれた堤防の一部が「石田堤」と呼ばれ今も残っている。

 湖沼に浮かぶ城、忍城も今では市街地に囲まれ、僅かに水城公園にかつての面影を残すだけである。本丸には、元々は三の丸にあった御三階櫓(天守)が復興されている。また、本丸内に「時の鐘」の鐘楼がある。 本物の鐘は、本丸内にある郷土博物館に展示されている。また、博物館には忍城の模型など忍城に関する資料が豊富に展示されていた。

 本丸北側にある諏訪曲輪には、僅かではあるが土塁と堀が残っている。また、北谷門が加須市にある總願寺(不動ヶ岡不動尊)の黒門として移築されている。


歴     史
 忍城は、築城年代は定かではないが、鎌倉時代には在地領主忍氏が築いたと云われている。応永7年、成田宗時が入城して本格的な水城に改修した以後、成田氏の本城となる。

 戦国時代には、成田長泰・氏長が北条氏外様衆となった。天正184年の小田原の役では、石田三成・長束正家らが忍城を攻めたが落とせず、小田原城開城後にやっと開城している。

 家康の四男松平忠吉が10万石で居城したが、慶長5年の関ヶ原の後、尾張清洲へ移封。城番時代を経て寛永3年、武蔵深谷から酒井忠勝が5万石で入封。その後松平・阿部氏と居城、元禄12年には阿部正武が忍城を大修築している。文政6年に阿部正権が陸奥白河へと移り、伊勢桑名より松平忠堯が入封して以後松平氏が五代居城して明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR高崎線行田駅、秩父鉄道行田市駅〜バス/忍城趾・郷土博物館前
 車 : 東北道加須IC〜国道125号線
駐車場: 郷土博物館の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
秀吉の水攻めで唯一落城しなかった名城。

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