伊勢 桑名城


お城のデータ
所在地 三重県桑名市吉之丸
遺 構 曲輪、堀、移築門、模擬櫓
形 式 平城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 最後の城主、松平定敬(会津松平容保の弟)が佐幕派だったため、明治維新後に城はいち早く破却されてしまった。現在は九華公園となっていて、石垣や建物は無くなってしまったが、満々と水を湛えた幅の広い堀が、かつて揖斐 川の河口に築かれた水城の名残を色濃く残している。

 本丸跡に神戸櫓の櫓台がある。この神戸櫓は、伊勢神戸城の天守を移築 したものだ。櫓台の石垣が取り崩されているが、神戸城の天守台から推定するとかなり大きな櫓だったと思われる。

 天守の跡は、本丸にある神社の奥に石組の碑があるあたりだ。石碑の土台石が天守台の石垣を使用しているのかは明らかではない。建物の遺構として、市内の日立金属桑名工場近くにある了順寺に城門が移築され現存している。


歴     史
( 了順寺山門 )
 桑名城は、初めて築城された年代は定かではない。関ヶ原の役前は氏家行広が22,000石で領主であった。

 慶長6年、徳川家康は四天王の一人、本多忠勝を上総大多喜から10万石で桑名に封じた。忠勝は城の大改修を行い、天守以下50の櫓、46の多聞櫓が建ち並ぶ壮大な城を完成させた。

 本多忠政が播磨姫路へ転封した後、城主は久松松平氏が遠江掛川から入りる。松平氏は途中越後高田陸奥白河に移るが、文政6年に松平(奥平)忠堯が武蔵忍に移り、松平定永が桑名城主に帰り咲き明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR関西本線桑名駅、近鉄名古屋線近鉄桑名駅〜徒歩約15分
 車 : 東名阪道東桑名IC〜国道258号線〜国道1号線
駐車場: 九華公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
徳川家康は四天王の一人、本多忠勝が築いたお城。
  • 桑名城の城門移築先
    了順寺 三重県桑名市大福

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