常陸 前小屋城


お城のデータ
所在地 茨城県常陸大宮市泉字上ノ寺
遺 構 曲輪、土塁、横堀
形 式 平城 築城者: 平沢通行 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 主郭西側の虎口と土塁 )
( 主郭西側の横堀 )
 前小屋城は、宇留野城の南に約700mほど隔てた所にあり、久慈川右岸に面した河岸段丘崖を利用して築かれている。

 前小屋城は、段丘の北端に種生院の境内となっている主郭を置き、段丘に沿って南北に四つの曲輪が連郭式に並んだ縄張りとなっている。更に主郭の西側に馬出曲輪状の方形をした曲輪が付属している。この曲輪西側にある「五器井戸」と呼ばれる水源があることから、城の水の手曲輪と考えられている。

 主郭が平沢氏の築いた前小屋城であったと考えられ、約100m四方の方形居館形式と推定でき、二の曲輪〜四の曲輪、馬出状の五の曲輪が前小屋義広の築城とされている。

 種生院本殿の裏手から遊歩道が五の曲輪まで設けられ、主郭を囲繞する深さ約8mの堀と土塁、更に五の曲輪を囲繞する横堀と土塁を見ることができる。特に主郭の薬研堀は見応えがあった。主郭と五の曲輪以外の曲輪群は宅地と畑地となっていて、曲輪を仕切った横堀や土塁の遺構も一部しか残されていなかった。


歴     史
( 五の曲輪南側の土塁と横堀 )
 前小屋城は、築城年代は定かではないが藤原秀郷流那珂氏の一族平沢通行によって築かれたと云われている。

 9代佐竹義篤の庶長子義躬を祖とする小場城主5代小場義忠の弟義広が、長禄年間頃に前小屋の地を分知され前小屋氏を称した。前小屋氏は本家小場氏の家老職を務め、慶長5年に佐竹領内の知行替えで小場義成が筑波郡小田城へと移ると、前小屋義親も共に移り、前小屋城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR水郡線常陸大宮駅〜バス/泉新道
 車 : 常磐道那珂IC〜国道118号線
駐車場: なし(種生院境内に駐車可)


ひとくち MEMO
主郭と付属する馬出状の曲輪を囲繞する堀と土塁が完存するお城。

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