お城のデータ | |||||
所在地: | 岐阜県中津川市苗木 | ||||
遺 構: | 天守台、石垣、堀、曲輪 | ||||
形 式: | 山城 | 築城者: | 遠山直廉 | 築城年代: | 天文年間 |
見 ど こ ろ | |||
建物は城内に何も残っていないが、整備事業で修復された風吹門・大矢倉の石垣が、まずは訪れた人を圧倒する。二の丸には城主の御殿があったが、今はその礎石が二の丸一面に広がっている。 二の丸から本丸に至る通路には、自然の巨石が行く手を阻んでいて、また石垣のいたる所に巨石が組み込まれ、天守台まで自然岩を利用しているのを見ると、岩山に築かれた城との感がある。 本丸はそう広くはないが、眼下に木曽川を見下ろすことができ、この城の高さを思い知 らされる。 |
歴 史 | |||
元亀3年、直廉が病没すると継嗣なく、信長の命により一族飯羽間城主遠山友勝が城主となった。苗木遠山氏は、岩村本家と明知城主遠山氏と共に遠山三人衆と呼ばれていた。武田氏の東美濃侵攻により岩村城が武田氏の拠点となると、苗木城が織田方の苗木城が最前線となった。 天正11年、本能寺の変後、金山城主森長可に攻められ落城、遠山友忠・友政父子は徳川家康を頼って落ち延びた。苗木城は、森氏の領する地となり、その後慶長4年には河尻直次の所領となる。 慶長5年、西軍に与した河尻直次は改易となり、関ヶ原の戦功により遠山友政が旧領を回復して10,251石を領して入城する。以後代々遠山氏がこの地を領し、幕末には12代友禄が若年寄に就任している。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR中央本線中津川駅〜バス/苗木城 |
車 : | 中央道中津川IC〜国道257号線〜中津川有料道路 |
駐車場: | 遠山資料館の無料駐車場を利用 |
ひとくち MEMO | ||||||
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