安芸 新高山城


お城のデータ
所在地 広島県三原市本郷町本郷
遺 構 曲輪、石垣、土塁、井戸
形 式 山城 築城者: 小早川隆景 築城年代: 天正21年


見 ど こ ろ
 沼田川を挟んで東に高山城、西に新高山城がある。どちらの城も岩山の上に築かれた比高200mクラスの堅固な山城だ。新高山城へは本郷町の上水道管理事務所前から大手道が通じている。

 山腹に番所跡と呼ばれる三段に分かれた曲輪を経て匡真寺跡へと登る。この匡真寺は、小早川隆景が天正5年に建立した寺で、現在は築庭跡の池も残っている。(現在の三原宗光寺の前身)

 新高山城は、山頂の尾根筋を削平して、東から本丸・中の丸・北の丸と曲輪群が連郭式に配置された縄張りとなっている。

 本丸は、4段に削平された広い曲輪で、大手口は外桝形虎口となっていて、ここにあった大手門が宗光寺山門として移築され現存している。本丸の西・北側にはかつては石垣で固められていた。その名残の残石は各所に残るが、釣井の段から本丸へ間の虎口の付近には石垣がよく残っている。

 釣井の段(井戸曲輪)には、本丸から北に延びる二つの尾根に挟まれた低地に築かれていて、城内では一番広い曲輪だ。ここには、円形の石積井戸が6ヶ所あった。   


歴     史
( 新高山城の城門 三原宗光寺 )
 小早川隆景は、天文2年に吉田郡山城主毛利元就の三男に生まれた。天正10年、13代小早川興景が銀山城(広島市)攻めに出陣中に病死すると、興景夫人が元就の姪であった関係から、天正13年に養子に迎えられ竹原小早川氏14代を相続した。

 隆景は、天正19年に沼田小早川繁平の養子となり、小早川本家をも相続して高山城へと移り、天正21年に新高山城を築いて居城を移した。

 隆景の晩年、養子秀秋に筑前名島城と家督を譲ると慶長元年に三原城を隠居城と定め、新高山城の石垣の巨石を残らず三原城へと運んだと云われている。  


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陽本線本郷駅〜徒歩約20分(登城口)
 車 : 山陽道本郷IC〜県道33号線
駐車場: 新高山城の無料車場を利用。(上水道管理事務所の北約50m)


ひとくち MEMO
険しい岩山の上に築かれた小早川隆景一代のお城
  • 新高山城の移築門
    宗光寺 広島県三原市本町3丁目

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