 |
( 六の曲輪北側の横堀入口 ) |
 |
( 後世に開けられた虎口 ) |
 |
( 五の曲輪櫓台と横堀 ) |
 |
( 三の曲輪西側の横堀 ) |
小幡城は、寛政川右岸に面した小高い台地を利用して築かれている。西側を除く三方を寛政川とその支流が天然の堀となった要害の地形となっている。
小幡城の縄張りは、南北58m×東西66mの台形をした主郭を中心に二の曲輪・三の曲輪・四の曲輪・五の曲輪が同心円状に配置され、それぞれの曲輪が深い横堀によって区画され、土橋によって結ばれている。更に五の曲輪の北側に六の曲輪、更に六の曲輪の北から西にL字型に七の曲輪が配置され、大手が西に向けて開かれていた。
当然、城内への敵の侵入を防ぐ縄張りだが、同時にこの城は、まるで城内に敵を引き入れて殲滅するように、縄張りされたようにも思える城なのだ。「穴蔵の城」とでも呼びたいような城だ。
北の見学者用駐車場から七の曲輪東側の横堀入口から城内へと進む。ここからまるで迷路の様な堀底の道を歩く。
六の曲輪を囲繞する横堀、後世に開けられた虎口を通って二の曲輪西側の横堀へと入る。行く手には二の曲輪から西へ向かって張り出した土塁が攻め手に矢を掛ける。この枡形状の横堀を通り抜けると、正面には主郭の高い土塁が攻め手に覆い被さるように現れる。
鬱蒼と生い茂る林の中に、周囲は高さ6mはあろうか、両側に高々と築かれた土塁。その土塁と横堀によって複雑に入りくんだ曲輪の縄張り、その曲輪には櫓や武者走りなどが設けられ、堀底道を行く敵に容赦なく矢や鉄砲を放ったのであろう。建物の遺構はないが、このような光景が目に浮かび、今にも矢が飛んで来そうな錯覚してしまう。
公園として一応は整備されているが、訪れる観光客も少なく、土塁を駆け上がり、薮の中をかき分けて遺構を見る、そんなお城めぐりファンに大満足感を惜しみなく与えてくれる。この城を訪れて、土塁の城のすごさ、迫力のようなものを肌で感じることができる城だった。 |