信濃 上田城(城主居館)


お城のデータ
所在地 長野県上田市大手1丁目
遺 構 曲輪、現存門、土塁
形 式 居館 築城者: 真田昌幸・信之 築城年代: 天正11年


見 ど こ ろ
 上田城の特徴の一つに三の丸に設けられた城主居館だ。関ヶ原の後、真田信之が上田城へ入るが昌幸時代の上田城は徳川氏により破却されており、三の丸に陣屋を構えたことに始まる。

 真田氏の縄張りを引き継いだ仙石氏の上田城も本丸の敷地は狭く、真田信之の陣屋(居館)を継承して使用した。

 現在は、上田高校の敷地となっていて表門の薬医門は寛政2年に松平忠清によって再建されたもの。また、城主居館と同様の中屋敷も方形居館形式であったが、堀も埋められ清明小学校の敷地となっている。


歴     史
 上田城は、天正11年に真田昌幸によって築かれた。昌幸は、この上田城で天正13年と慶長5年の二度、徳川氏を迎え撃って勝利してる。 

 慶長5年、関ヶ原の役後、東軍に加わった昌幸の長男沼田城城主真田信之が城主となるが、昌幸の築いた上田城は破却されていたため、三の丸に陣屋(城主居館)を構え、城の復興よりも城下町の復興を優先させた。 

 元和8年に信州松代に転じ、仙石忠政が信州小諸より入城する。忠政は上田城の改修に着手したが、寛永5年に病没したため、城の普請は中断した。宝永3年、仙石政明が但馬出石に移封し、入れ替わり松平忠周が出石より58,000石で入封し、以後松平氏が明治まで七代にわたり上田を領した。 


お城へのアクセス
鉄 道: しなの鉄道上田駅〜徒歩約10分
 車 : 上信越道上田菅平IC〜国道144号線〜県道77号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
お城の中にある陣屋構えの城主居館。

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