伯耆 羽衣石城


お城のデータ
所在地 鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石
遺 構 模擬天守、曲輪、土塁、石垣、堀切、井戸
形 式 山城 築城者: 南条貞宗 築城年代: 貞治5年


見 ど こ ろ
 国道9号線長和田(交差点の所に羽衣石城への道案内の標識がある)から羽衣石川に沿って4km上流へと進むと羽衣石の集落に着く。比高280m、麓から眺める羽衣石城を見ると、「へぇ〜、あそこまで登るの?」と思うほどの険山だ。

 中腹まで車で登る。(駐車場があるところも曲輪跡)駐車場から2つの登城ルートがある。八幡神社経由のルートがきつい登りだが、途中石垣や曲輪群を見ることができる。

 羽衣石城の縄張りは、山頂部に本丸、二の丸、三の丸を配置し、2段の帯曲輪が主郭部を形成している。

 この主郭部は綺麗に整備され、三層三階の模擬天守と物見櫓風の展望台がある。模擬天守下のには石垣も僅かではあるが残っていた。主郭部から西へ2筋の尾根に削平地が幾段も置かれ、西方面を固めている。東の尾根には、2筋の堀切がある。(夏草をかき分けながら1筋の堀切のみ確認)

 主郭部のみの探索ならともかく、尾根筋の曲輪群を見るにはそれなりの装備を持参することをお薦めする。 


歴     史
 羽衣石城は、貞治5年に南条貞宗によって築かれ、以後10代に渡って南条氏代々の居城であった。

 大永4年、出雲月山富田城主尼子経久の伯耆侵攻によって8代宗勝は城を追われた。尼子経久は羽衣石城を因幡侵攻の拠点として、新宮党尼子誠久を城主に据えた。

 尼子氏滅亡後、南条宗勝が城主に返り咲く。9代元続は羽柴秀吉に与し毛利氏と敵対した。一度は吉川元春によって落城したがその後奪還した。天正10年の鳥取城落城後、羽柴(織田)・毛利和睦により、元続は伯耆4郡で6万石を領することになった。

 慶長5年、10代元忠は関ヶ原では西軍に与したため改易となり、羽衣石城も廃城となった。尚、南条元忠は大坂の陣では大坂城に籠城したが、徳川方に内通したことを理由に大阪城内で切腹し、ここに10代続いた南条氏は滅亡した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線松崎駅〜バス/長和田、タクシー
 車 : 米子道湯原IC〜国道179号線/倉吉〜県道22号線〜町道
駐車場: 羽衣石城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
全山に大小の曲輪が残り、頂上には三層の模擬天守があるお城。

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