因幡 鳥取城


お城のデータ
所在地 鳥取県鳥取市東町
遺 構 天守台、門、曲輪、石垣、堀
形 式 平山城 築城者: 山名誠通 築城年代: 天文10年


見 ど こ ろ
 鳥取城は、久松山の山頂部にある山城と山麓部にある城に分かれている。秀吉による「鳥取城の渇殺」のときは、山頂部分だけであった。

 山頂部分は、詰の城として二層の天守があり、今も天守台、多聞櫓、月見櫓の石垣が残る。天球丸から約30分。山麓へと城の中核が移り、今は、櫓台が残るだけだが、その山麓の城の天守が「御三階櫓」だ。

 山麓部の城は、近世城郭そのもので、累々と築かれた石塁が、32万石の居城であったことを改めて思い知らされる。城跡には、建造物の唯一の遺構である城門が現存している。 


歴     史
 鳥取城は、天文10年に因幡守護山名誠通が久松山に築城よって築かれたと云われている。

 天正9年、山名豊国は家老により鳥取城を追われ、毛利より石見福光城主吉川経家が入城するが、羽柴秀吉の「鳥取城の渇殺」により落城する。落城のあと、宮部継潤が5万石で城主となる。

 慶長5年、関ヶ原の戦功により池田長吉が6万石で入封する。長吉は、山麓部に天球丸・二の丸・三の丸を増築するなど城の大修築を行った。

 元和3年、播磨姫路より池田光政が32万石で入封する。この光政によって鳥取の城下町が完成した。寛永9年、岡山の池田光仲と領地替えとなる。光仲入封後、12代慶徳の時に明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線鳥取駅〜バス/鳥取城跡
 車 : 中国道作用IC〜国道53号、中国道山崎IC〜国道29号
駐車場: 鳥取城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
羽柴秀吉の「渇殺」で有名なお城。

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