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( 本陣から見る久松山鳥取城 ) |
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( 本陣の大手虎口 ) |
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( 本陣内から見る東側土塁 ) |
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( 本陣南東部の横堀と土塁 ) |
秀吉が第二次鳥取城攻めに際して久松山(鳥取城山上ノ丸)の東に位置する太閤ヶ平(本陣山)に陣を構えた。
本陣山へは幾つも登山ルートがあるが、鳥取市歴史博物館(やまびこ館)・東照宮鳥居前から本陣山の通信設備用のアスファルト道を登るルートが時間は掛かる(約90分)がなだらかな登りで体力的にはお勧めだろう。本陣山から秀長陣を経由して久松山へも遊歩道が整備され迷うこと無く登ることができる。(約60分)
太閤ヶ平秀吉本陣は基本的には約50m四方の縄張りで、南東部に突き出した部分があり、南西隅と北西隅に櫓台が設けられている。この内陣の周囲を土塁と横堀が囲繞し、一部矢が掛けられるように折れがある。横堀は一部確認出来ない部分もあったが、本来は全周していたと推測される。
内陣の虎口は南と北に開かれ、南側が大手口は南東部突き出した部分と南西隅の櫓によって防御されている。搦手口である北の虎口を出ると、現在通信設備が建つ広い削平地一帯には秀吉直属の部隊が駐屯していたと考えられている。
太閤ヶ平の陣は、この秀吉本陣を頂点として久松山へと至る尾根筋、六角展望台から西へ麓の栗渓神社に至る尾根筋、この二つの尾根に挟まれた本陣山西側の斜面一面に無数の小さな段曲輪が構築され、秀長の陣から本陣山の麓付近まで二重の竪堀と横堀が構築され、太閤ヶ平陣の大防衛ラインを形成している。
全てを見て回ることはとても適わないが、短期間にこれほどのまで大規模な陣城を構築したことに驚かされる。たとえ毛利方に兵糧が潤沢にあったとしても、久松山を包囲する陣容は毛利方を圧倒するものであっただろう。 |