近江 丁野山城


お城のデータ
所在地 滋賀県長浜市小谷丁野町
遺 構 曲輪、土塁、空堀、堀切
形 式 山城 築城者: 浅井亮政 築城年代: 永正15年


見 ど こ ろ
 丁野山(ようのやま)城は、小谷城の北西に位置する岡山に築かれ、東支尾根の先端部には中島城が築かれ、小谷城防衛の重要拠点であった。

 丁野山城は、岡山山頂部に周囲を空堀で囲繞された方形の主郭を置き、北と南にそれぞれ曲輪を配し、その外側の尾根筋を遮断する堀切が設けられた縄張りとなっている。

 この城の特徴は、方形主郭を囲繞する空堀の外側に掻き上げ土塁を廻らしていることで、このような形式は近江の城郭ではあまり見られず、越前朝倉氏の軍勢によって築かれた貴重な遺構と云われている。


歴     史
 丁野山城は、永正15年に浅井亮政によって築かれた。元亀元年に3代浅井長政が、織田信長に姉川の合戦に敗れ、元亀3年から小谷城攻防戦が開始される。

 浅井氏救援のため湖北に出陣した朝倉義景は大嶽城に陣張り、信長の本陣となった虎御前山城の北側にある丁野山城にも義景の家臣堀江甚助、久保田堪十郎、平泉寺衆徒玉泉坊が入った。丁野山城は、この時に朝倉氏によって修築された。

 天正元年、浅井氏重臣阿閉貞征が織田方に寝返ると、織田信長は小谷城攻めを開始、大嶽城が浅井対馬守の寝返りにより落城、更に小谷城の西の守り丁野山城・中島城も落城した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR北陸本線河毛駅〜徒歩約10分
 車 : 北陸道長浜IC〜国道8号線〜県道265号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
小谷城攻防線の舞台となり朝倉勢が籠もったお城。

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