越後 蔵王堂城


お城のデータ
所在地 新潟県長岡市西蔵王町3丁目
遺 構 曲輪、土塁、堀
形 式 平城 築城者: 不明 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 蔵王堂城は、柿川が信濃川に合流する地点の北側に築かれた平城だ。背後を信濃川に守られた城だが、一方信濃川の洪水に悩まされ、廃城となった城でもある。

 城の縄張は、方形居館形式の城が随時梯郭式に拡張されていったと推察される。現在の安禅寺境内が本丸、東側に金峯神社境内が二の丸、更にその南側の住宅地が三の丸だ。安禅寺(本丸)の西側を除く三方には土塁、さらに堀が東から南側にかけてよく残っていた。


歴     史
 蔵王堂城は、築城者は定かでないが南北朝時代に築かれた。その後長尾景春が入城して以後、長尾三家(府中・古志・上田)の一つ古志長尾氏の居城として続いた。永正年間に長尾孝景が栖吉城を築いて移ると、丸田周防守が城主となった。

 天正6年の御館の乱では上杉景虎方に与し、景勝方に攻められた。乱後、景勝の家臣松川修衡が城主となったが、慶長3年に景勝が会津へ移封になると松川氏もこれに従った。

 堀秀治が越後へ入封すると、蔵王堂城へは堀親良が4万石を領して城主となったが、その後養子鶴千代が継承するも幼少にて没し改易となっている。堀直寄が、元和2年に松平忠輝の改易に伴い信濃飯山から8万石を領して蔵王堂城へ入城したが、信濃川の洪水に悩まされた蔵王堂城を廃し、長岡城を築き居城を移した。


お城へのアクセス
鉄 道: 信越本線北長岡駅〜徒歩約15分
 車 : 関越道長岡IC〜国道8号線
駐車場: 金峯神社の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
東古志の穀倉地帯を治めたお城。

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