上野 安中城


お城のデータ
所在地 群馬県安中市安中3丁目
遺 構 曲輪、移築門
形 式 平城 築城者: 安中忠政 築城年代: 永禄2年


見 ど こ ろ
(東門枡形の土塁)
 安中城は、九十九川と碓氷川に挟まれた台地に築かれている。台地は両川に面して高さ約20m程の崖となった要害の地でもある。安中氏時代の城は、城の西側に北の崖から大名小路に至る約300mにも及ぶ堀が設けられ、西に続く台地との遮断線となっていた。

 井伊氏によって再築された安中城は、陣屋造りの縄張りとなっていて約200m四方に本丸と二の丸がある、その東に三の丸が配されて北を除く三方に虎口が開かれていた。現在は、中学校敷地や住宅地・寺社敷地となり殆ど遺構は残っていないが、東門枡形に僅かに土塁が残っていた。


歴     史
( 郡奉行役宅 )
( 武家屋敷長屋 )
 安中城は、永禄2年に安中忠政によって築かれた。弘治2年に武田信玄に瓶尻合戦で敗れた安中忠政は、武田氏に備えて安中城を築城して嫡男忠成を入れ、自らは松井田城の防備を強化している。

 永禄7年に信玄は上野へと侵攻すると、安中の忠成は武田氏に降ったが忠政は松井田城に籠城したが力尽き降伏後に自刃した。武田氏に臣従した忠成は、天正3年の長篠の合戦で討死した。

 慶長19年、井伊直勝が3万石で入封して安中城を再建したが、正保2年に2代直好は三河西尾へと移り、代わって三河新城から水野元綱が2万石で入る。寛文7年に2代元知が改易されると、堀田正俊が2万石を領して入りる。延宝7年に老中に昇進し、天和元年には下総古河13万石へ加増移封となった。

 その後、板倉・内藤氏と入れ代わり遠江相良から板倉勝清が2万石で入封する。勝清は明和4年に西の丸老中となり1万石を加増されている。以後板倉氏が代々この地を領して6代勝殷の時に明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR信越本線安中駅〜バス/上越線岩本駅安中体育館前
 車 : 関越道高崎IC〜国道18号線
駐車場: 安中文化文化センターの駐車場を利用


ひとくち MEMO
江戸時代には陣屋造りとなったお城。

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