丹波 安口西砦


お城のデータ
所在地 兵庫県丹波篠山市安口字北ノ谷
遺 構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 主郭背後の二重堀切の一つ )
 安口(はだかす)西砦城は、安口城西側の尾根筋先端部を利用が築かれている。安口西砦へは登城道は消滅していて、北側の谷合から沢を渡り急斜面をよじ登る。この城を攻めた明智勢の兵士の気分だ。

 安口西砦は、尾根先のピークに主郭を置き、先端部に向けて二段の曲輪が配された縄張の小規模な砦だ。それでも、尾根先端部には堀切を設け、更に主郭下の帯曲輪から北西へと続く尾根筋を二重の堀切で背後を遮断した縄張となっている。背後を多重の堀切で遮断する縄張は、隣接する安口城とも共通したものだ。


歴     史
( 先端の堀切と土塁 )
 安口西砦は、築城年代や築城者については定かではないが、安口城と同時期に支城として築かれたと考えられている。元亀年間に籾井城主籾井綱重が、隠居して家督を嫡男綱利に譲り次男正綱を伴って安口城に入った。

 天正5年、明智光秀が織田信長の命により丹波侵攻を開始する。光秀は丹波亀山から篠山盆地へと攻め入り、八上城の波多野秀治に与した籾井綱利の籠もる籾井城とその支城で籾井綱重の籠もる安口城・安口西砦も攻め落とされた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線園部駅〜バス/安口
 車 : 京都縦貫道千代川IC〜府道73号線〜国道372号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
明智勢のつもりで道なき斜面を登ると二重堀切を持つ砦が待っていた・・・。

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