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| ( 本丸西側の櫓台 ) |
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| ( 本丸正門脇の石垣 ) |
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| ( 本丸埋門跡 ) |
「島原天草の乱」の舞台原城。島原湾に向けて南東に突き出した岬の先端部を利用して築かれている。岬の三方が海に囲まれ、唯一地続きとなっている西側(現在は国道が251号線が通る一帯)は、かつては低湿地帯となり、満潮時には海水が流入して「海に浮かぶ城」となる要害であったようだ。
原城の縄張りは、断崖絶壁を背にした岬の最高所に本丸を置き、梯郭式に北に向かって二の丸・西二の丸・二の丸出丸・三の丸・南三の丸と並び、三の丸北東部に大手門(日野江口)が開かれている。更に、本丸西側に隣接して鳩山出丸と南に一段低く天草丸が配置されている。
百聞は一見に如かず。多少の予備知識はあったが、訪れる前に大した規模の城ではないと思い込んでいたが、一揆軍が籠城して幕府軍12万の大軍を悩ました城だけのことはあった。
本丸前には空堀が残り、東側の蓮池とともに今も往時の地形が見事に残っていた。本丸には、2ヶ所の虎口が開かれている。東側の池尻口門と車道となっている所に本丸表門の枡形虎口があり、ここの石垣遺構は見応えがある。
原城は、一揆後に幕府によって徹底的に破却されたが、それでも本丸石垣は見応えがある。西側にせり出した櫓台にはかつて三層の櫓が建てられていたと外国人宣教師の報告あるとか。櫓台の他にも本丸北面から池尻口門へ至る石垣は、高さこそあまりないが捨てがたいポイントだ。 |