お城のデータ | |||||
所在地: | 長崎県島原市城内1丁目 | ||||
遺 構: | 復興天守、模擬櫓、石垣、堀、曲輪 | ||||
形 式: | 平城 | 築城者: | 松倉重政 | 築城年代: | 元和4年 |
見 ど こ ろ | |||
この島原城築城が原因で島原の乱が起きたか、住民の身になれば一揆を起こさ ざるを得なかった気持ちが分かったような気がした。 現在も本丸・二の丸の高石垣と堀は健在だ。観光用に本丸へ入る道路が付けられているが、本来は二の丸から細い土橋を通って本丸へ入る。籠城ともなるとこの橋を崩せば、本丸だけでも十分持ちこたえられる縄張りとなっている。 本丸には、五層の塔層式天守が復興されている他に、 三層の櫓が2基復興されている。三の丸は、現在では市街地化しているが、この一角に武家屋敷の家並みが残 っている。実際に一般公開されているのは2軒だけだ。 |
歴 史 | |||
この島原城築城の苛酷な夫役・重税とキリシタン弾圧の結果、重政の子勝家(重治)の時、寛永14年に島原の乱が起こった。この乱の終結後、勝家は責任を問われ切腹し松倉家は断絶となった。 松倉氏改易の後に、遠江浜松より高力忠房が4万石で入封する。忠房は、島原の乱後の復興とキリシタン弾圧の強化の使命をおびていた。寛文9年、2代高長は、暴政を行ったことにより改易され、丹波福知山から深溝松平忠房が65,900石で入封する。 松平氏は、5代続いた後下野宇都宮に転封し、戸田氏が入れ替わって2代居城するが、安永3年に再び戸田・松平氏は入れ替わり、以降松平氏が8代続いて明治に至った。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | 島原鉄道島原駅〜徒歩5分 |
車 : | 長崎道諫早IC〜国道251号線 |
駐車場: | 本丸内の有料駐車場を利用。 |
ひとくち MEMO | ||||||
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