播磨 平井山ノ上付城
     (秀 吉 本 陣)


お城のデータ
所在地 兵庫県三木市平井
遺 構 曲輪、土塁
形 式 陣城 築城者: 織田信忠 築城年代: 天正6年


見 ど こ ろ
( 櫓台状遺構 )
 平井山ノ上付城(秀吉本陣)は、美嚢川と志染川に挟まれた東西に伸びる丘陵の尾根上に築かれている。尾根上にある三つのピークに築かれた主郭・二の曲輪・三の曲輪を「太閤道」と称されている連絡路により結ばれている。

 主郭を囲繞する土塁や物見台があった櫓台はあるが、通常の山城や丘城に見られる堀切や竪堀の遺構は見られない。しかし、三木城と対峙した秀吉の本陣故に、秀吉直属の軍勢が駐屯するため尾根道から北側へと派生する支尾根と谷筋には階段状に幾段もの曲輪が設けられている。その多さには驚かされた。


歴     史
( 段状の曲輪群と登城道 )
( 伝大手口 )
 天正5年、織田信長は羽柴秀吉に命じて毛利氏攻めを開始する。三木城主別所長治は東播磨の旗頭として織田方に与して参陣したが、翌天正6年3月に羽柴秀吉との対立から毛利方へ寝返ってしまう。

 織田信長は別所長治の成敗を命じ、天正6年7月に織田信忠を総大将とする織田勢は別所方に与した神吉城志方城を落とし、次いで三木城攻略の付城の築城が開始された。平井山に陣城を築いて秀吉に引継ぎ信忠は8月には帰国した。以後、平井山は秀吉の本陣となった。

 こうして火蓋が切られた三木合戦は、伊丹有岡城主荒木村重の離反もあり織田方が容易に三木城を落とす事が出来ず、天正7年に信忠が再度派遣されて新たに付城6ヶ所を築き、三木城を包囲網を強化した。こうして天正8年まで三木城の周囲に30数ヶ所もの付城を築き兵糧攻めを行い、ついに天正8年1月17日、別所長治は城兵の命と引き替えに自刃して三木城を開城した。


お城へのアクセス
鉄 道: 神戸電鉄恵比寿駅〜バス/平井公民館前(平日のみ)
 車 : 山陽道三木東IC〜県道38号線〜県道513号線
駐車場: 平井山ノ上付城の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
三木合戦で羽柴秀吉の本陣が置かれた付城。

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