上野 中山城


お城のデータ
所在地 群馬県吾妻郡高山村中山字城内
遺 構 曲輪、土塁、横堀
形 式 丘城 築城者: 北条氏 築城年代: 天正10年


見 ど こ ろ
 中山の地は、南北に通じる三国街道と沼田と岩櫃を結ぶ街道が交わる交通の要衝で、江戸時代は三国街道の宿場町として栄えた。中山城はこの要衝を押さえ、真田氏の二大拠点岩櫃城と沼田城を分断するために真田氏の領国内に楔を打つ込むように築いた境目の城として築かれた。

 中山城は、西に五領沢川・東に西沢川とその支流に挟まれた南北に伸びる舌状台地の先端部を利用して築かれている。

 台地の東側を流れる西沢川支流を背にして約40m四方の主郭を置き、東を除く三方を横堀で囲み、更にその外に二の曲輪・三の曲輪を配し、北側に北の曲輪、南側の台地先端部に捨て曲輪を配した縄張りとなっている。横堀を多用し河岸崖を背に周回形式に曲輪を配置した縄張りは、同時期に築かれた長井坂城と酷似したもので、北条流縄張りを見る知る上で貴重な遺構だと云える。


歴     史
 中山城は、天正10年に北条氏によって築かれた。天正10年、本能寺の変で織田信長が横死すると、上野国へと北上した北条氏直が前橋城にいた織田家重臣滝川一益を神流川の合戦で破り、上野から信濃へと侵攻して天正壬午の乱が始まった。

 上野沼田領の帰属を巡って真田氏と北条氏の抗争が激化する。北条氏政・氏直父子は白井城へと進出して沼田城を目指し、同時に北条氏邦を真田氏の拠点岩櫃城と沼田城の中間に位置する中山へと進出させて中山城を築かせた。

 天正11年、北条氏は赤見泰拠(沼田城主沼田顕泰の孫)を守将として中山城に入れ、中山衆らを在番としている。天正14年に真田方地衆が赤見氏を討って中山城を奪取したと云われているが、裏付け資料がなく信憑性がないようだ。いずれにせよ、天正18年の豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅ぶと、この城の存在価値はなくなり廃城となったと考えられる。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR吾妻線中之条駅〜バス/五領口
 車 : 関越道昭和IC〜県道65号線〜国道17号線〜国道145号線
駐車場: 中山城の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
北条氏が真田領内に楔を打つように築いた境目の城。

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