伊賀 名張陣屋


お城のデータ
所在地 三重県名張市丸の内
遺 構 移築門、書院
形 式 陣屋 築城者: 藤堂高吉 築城年代: 寛永12年


見 ど こ ろ
( 名張藤堂屋敷門 )
 名張陣屋は、名張市街地の真ん中に現在は名張小学校・名張中学校などの敷地となっている小高い台地一帯に築かれていた。今もその地形は変わっていない。小学校と福祉会館との間には5mほどの段差がある。古地図を見るとここには石垣が築かれていたが、今は跡形もない。

 陣屋の遺構は、名張藤堂家屋敷が昔の位置に残っている。この屋敷は、奥向きの屋敷部分(名張藤堂家の当主が、私生活に使用した部分)だけだが、武骨な感じはあまりしない。むしろ洒落た感じのする落ち着きのある建物だ。この屋敷のすぐ北側にある寿栄神社の表門として名張陣屋の太鼓門(大手門)が移築されている。


歴     史
( 寿栄神社表門 )
 天正13年、大和郡山城から伊賀上野城に移された筒井定次は、重臣松倉勝重に名張8,000石を与えた。勝重は、嫡子重政(後の肥前島原城主)の縄張りで築城した。

 慶長13年、伊勢・伊賀の太守として津城に入った藤堂高虎は、養子高吉(丹羽長秀の三男)を伊予今治城主としたが、寛永12年に藤堂高吉は領地20,000石を伊勢・伊賀の内に移され名張城跡に居を構えた。名張藤堂家は大名として待遇されず、藤堂本家の領内領主として家臣とは別格として取り扱われ、11代高節の時に明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: 近鉄大阪線名張駅〜徒歩約10分
 車 : 名阪国道針IC〜国道369号線/榛原〜国道165号線
駐車場: 藤堂屋敷横の市史編纂室駐車場を利用(無料6台)


ひとくち MEMO
書院建築のが残る陣屋。

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