大和 龍王山城(北城)


お城のデータ
所在地 奈良県天理市柳本町
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、畝状竪堀、
形 式 山城 築城者: 十市遠忠 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ
 龍王山城は、松永久秀の信貴山城、筒井順慶の椿尾城とともに大和三大中世山城の一つの数えられ、北城と南城の2つの城から構成される別城一郭の城で、南北両城を合わせれば三城の中で一番規模の大きい城だ。

 北城は、稜線のピークに本丸を置き、東西に伸びる尾根筋を階段状に9つの曲輪を連郭式に配し、放射状に伸びる支尾根上にもそれぞれ曲輪群を配し、山腹を迂回するように連絡路を取り付けた複雑な縄張りとなっている。

 城の遺構は数々あるが、本丸と辰巳の曲輪との間の堀切、本丸周囲の切岸の高さ、土塁が囲繞する曲輪群、そして太鼓の丸南側斜面に設けられた畝状竪堀が見応えがある。

 また、随所に石積みの遺構も残っていて、訪れた時3ヶ所の石積みを確認することができた。特に本丸東側の堀切にある石積みが直ぐ目につくが、五人衆曲輪南側の水の手にある石積みもなかなかのもの。

 本丸以外の曲輪は、植林されるか雑木とブッシュに覆われていて、冬季の訪城ををお勧めする。「ハイキング」と思えば新緑や紅葉の季節が良いかも。本丸からの大和平野を一望できる眺望が、比高432mの城への登城の疲れを吹き飛ばしてくれる。


歴     史
 龍王山城は、天文5年に十市遠忠がそれまであった城を改修し、新たに北城を築いたといわれている。十市氏は、興福寺大乗院方の国人で長谷川党の領袖で、室町・戦国時代にかけて大和五大豪族の一つに数えられ、平時は十市城を居城していた。

 木沢長政が筒井氏と結び大和へ侵攻し信貴山城へ入った為、十市遠忠は龍王山の山城を拡張整備させたと考えられている。

 遠忠の代に十市氏の最盛期を迎え、その勢力は筒井氏をも凌駕する程のになったが、天文14年に遠忠が死去、子の十市遠勝の代には、筒井氏と松永氏の勢力争いに翻弄され続ける。遠勝は、宇陀秋山城の秋山氏に攻められ、城を捨て落城する。 

 龍王山城には一時秋山氏がいたが織田信長の大和侵攻後、十市遠勝が再び城主に帰り咲く。しかし永禄12年に遠勝が急死し十市氏は滅びた。その後、城は信長の命により廃城となった。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR桜井線柳本駅〜徒歩約100分
 車 : 名阪国道天理東IC〜国道25号線/天理ダム〜県道247号線
駐車場: 龍王山城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
大和中世山城の中でも最大級の規模を誇るお城。
  • 龍王山城への道しるべ
    天理ダムから林道天理ダム藤川線を車で登るのが一番。JR柳本から徒歩で登るルートもあるが、標高585mの龍王山頂にあるこの城を攻めるには、このルート時間と体力のある方以外にはお薦めでない。(ハイキングコースは天理市のHP参照)

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