大和 椿尾上城


お城のデータ
所在地 奈良県奈良市北椿尾町字城山
遺 構 曲輪、石垣、土塁、空堀、畝状竪堀
形 式 山城 築城者: 筒井順昭 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ
 大和国で戦国時代の中世山城として、その規模から信貴山城龍王山城とともに大和三大中世山城と云える城だ。

 菩提仙川に沿って山間の谷に集落が点在する五ヶ谷には、旧精華小学校の北裏山にある高樋城に始まり、椿尾下城を経由して東に延びる丘陵の最高点にある城山、ここに椿尾上城は築かれている。

 現在この城は、全く整備されていない。地元の精華小学校が建てた本丸・二の丸の標識が在るだけで、『椿尾城』の標識すらない。しかし、城山の山頂部には、本丸を中心に曲輪が幾重にも築かれている。本丸には、櫓台の土塁が小さな社の北側に残っている。

 この城の見どころは、本丸周辺の曲輪群よりも、植林された木々の中にある二の丸一帯の曲輪群だ。西に向けて直線的に配置されたこれらの曲輪は、石垣で固められたなかなか堅固な造りだ。

 椿尾城へは、麓の中畑町の集落から整備された林道を北に向かって進み、途中で西に向かう道幅の細い支線(未舗装)を進む。城山のすぐ下まで車で行けるが、お薦めできない。歩いても10分ほどの距離だ。


歴     史
 椿尾上城は、天文年間に筒井順昭(順慶の父)によって築かれた。筒井氏は、平城である筒井城を普段居城とし、本城に準じる城として椿尾上城は築かれた。

 事実、永禄2年に多聞山城主松永久秀に筒井城が攻められて落城した際、筒井順慶はこの椿尾上城に退いている。元亀2年、順慶は椿尾上城を本拠に反攻に転じ、辰市の合戦で勝利した。

 天正8年、織田信長から大和20万石の大名に任じられた筒井順慶は、同時に居城大和郡山城以外の城の破却を命じられ、この椿尾上城も廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR関西本線奈良駅〜バス/中畑町
 車 : 名阪国道(国道25号線)五ヶ谷IC〜市道/中畑町〜林道
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
植林された数多くの曲輪、全く未整備だが城の規模には驚かされる。

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