越後 坂戸城 御館


お城のデータ
所在地 新潟県南魚沼市坂戸
遺 構 曲輪、石垣、土塁、水堀
形 式 居館 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 御屋敷の土塁 )
 坂戸城の平素の居館は、坂戸城の西麓に位置し、「御館」・「御屋敷」と呼ばれた方形居館だ。正面にあたる西側には石垣が築かれ、曲輪内を方形に区分するように土塁が築かれている。 

 「御館」の上方に「御居間屋敷」・「中屋敷」と呼ばれる桝形の虎口をもつ居館がある。この曲輪は、堀氏時代に新たに築かれた曲輪であるとか。「御館」も堀氏による修築が加えられ、特に石垣は堀氏時代の構築と考えられている。尚、城跡西側の道路沿いには、魚野川の分流が内堀と化した「埋田」・「埋堀」と呼ばれる内堀が今も良く残ってた。 


歴     史
( 御居間屋敷 )
( 坂戸城の内堀 )
 坂戸城は、築城年代や築城者についてはは定かでない。上田長尾房長は永正9年に坂戸城を築き、その後天文20年にまで続く永正・天文の乱が終結するまで坂戸城の増改築が行われたと考えられている。

 慶長3年に上杉景勝が会津若松へと移封になり、越後春日山城へは堀秀政が入封する。坂戸城へは、一族堀直竒が城主となり3万石を領した。

 慶長5年、西軍に与した上杉景勝の遺臣が一揆を起こし下倉城を攻め落としたが、坂戸城の堀直竒が一揆を平定した。

 慶長7年、蔵王堂城主となった堀鶴千代を補佐し、鶴千代早世後は蔵王堂城主も兼務し5万石を領した。慶長15年、越後福島城主堀忠俊が改易となると直竒も信濃飯山へと移封となり坂戸城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR上越線六日町駅〜徒歩約15分
 車 : 関越道六日町IC〜国道253号線〜国道17号線
駐車場: 坂戸城の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
上田長尾氏の本城坂戸城の平時の居館。

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