美濃 曽根城


お城のデータ
所在地 岐阜県大垣市曽根町1丁目
遺 構 曲輪、土塁、石垣(埋め戻し保存)
形 式 平城 築城者: 稲葉一鉄 築城年代: 永禄年間初期


見 ど こ ろ
 曽根城は、現在では公園となっていて、一面芝生が植えられ「曽根城公園」と名が付けられているが、遺構は何も残っていない。公園入口には、斎藤利三屋敷跡の碑が道路脇にあった。

 曽根城の本丸跡に華渓寺が建てられている。この寺は、曽根城主稲葉一鉄が、母の菩提寺として建立した寺で、曽根村堤外にあったものを、曽根城廃城後、本丸跡に移築されたものだ。発掘調査の結果、本丸石垣が出土したが、現在は埋め戻されていて、寺の北側にある石垣・土塁はレプリカだ。


歴     史
 曽根城は、永禄初期に稲葉一鉄(良通)によって築かれた。一鉄は大野郡小寺城より曽根城に移り、西美濃三人衆の一人に数えられた。一鉄は豊臣秀吉の不審を被り清水城へと退き秀吉に陳謝して許されたが、嫡男貞道は天正16年に郡上八幡に転封となった。(後豊後臼杵城主)

 稲葉氏に代わって西尾光教が2万石を領して入城する。光教は関ヶ原の役では東軍に与し大垣城攻めで戦功があり、戦後1万石を加増され揖斐城揖斐陣屋)へと移され曽根城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道線大垣駅〜バス/曽根
 車 : 名神大垣IC〜国道258号線〜県道212号線
駐車場: 曽根城公園の無料駐車場(約10台程度)を利用


ひとくち MEMO
城趾公園となっているが、城の遺構は何も残っていない。

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