播磨 山崎城


お城のデータ
所在地 兵庫県宍粟市山崎町鹿沢
遺 構 移築門、石垣
形 式 平城 築城者: 木下勝俊 築城年代: 天正15年


見 ど こ ろ
 城跡は、本丸部分が本多公園、二の丸他の曲輪跡は山崎小学校・中学校の敷地となり、城の面影はあまり残っていない。しかし、この一角にある市立図書館南側に紙屋門が移築現存し、門の両側には城壁が復元されている。また、ここに山崎城の復元図が書かれた案内板もある。

 まずは復元図をじっくり見て、それから紙屋門へ。このあたりが一番「城跡」の雰囲気が残っている。本多公園の南側(学校のグランド側)には、虎口の石垣が復元されている。この石垣、あまりにも新しすぎてちょっと違和感があるが、まぁ〜ご愛敬か?


歴     史
 天正15年、木下勝俊が築城し、元和元年に播磨姫路城主池田輝政の四男輝澄が38,000石を与えられ分家して山崎城を拡張した。

 寛永8年、輝澄は弟池田政綱が死去した際にその旧領の内3万石を加増されて68,000石を領したが、寛永17年に輝澄は家政不行届のため改易となり、甥の鳥取城主池田光仲に預けられ、鹿野1万石を堪忍料として与えられた。

 その後、松井松平・池田氏と替わり、延宝7年に大和郡山から本多忠英が1万石で入封する。以後、本多氏が7代続いて明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陽本線姫路駅〜バス/山崎
 車 : 中国道山崎IC〜国道29号線
駐車場: なし。(本多公園隣の町立図書館の無料駐車場を利用)


ひとくち MEMO
笹の丸城を詰めの城として麓に築かれた平時のお城。

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