大和 横田城


お城のデータ
所在地 奈良県大和郡山市横田町
遺 構 堀(環濠)
形 式 平城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 和邇下神社 )
 横田城は、高瀬川左岸に位置する環濠集落が城塞化して「横田平城」と云われた。環濠集落内に在郷領主居館が設けられて、その居館と農村集落とが堀で囲繞されていたと考えられる。横田環濠は、二つの方形の集落が結合したような構造となっている。

 集落内の八幡神社境内付近から集落西側から南側に環濠跡と考えられる用水路が残るが、資料に拠れば、集落南側は奥氏の辰巳城とされている。すると、横田氏の居館は、和邇下神社から道路を挟んで南側の一帯にあったのであろうか?松倉氏時代には二つの環濠を合わせて横田城と考えるのが自然か。


歴     史
( 横田環濠南側の環濠 )
 横田城は、築城年代や築城者は定かでないが、横田治部の名が伝えられている。横田氏は筒井氏に仕え、後に筒井氏から養子が入り松倉氏と改称したとされている。戦国時代に筒井城主筒井順慶に仕えて島左近らと共に筒井氏三老臣に数えたれた松倉重信が居城していた。

 松倉重信は、天正13年の筒井定次の伊賀上野へ国替えに従い伊賀名張へと移っている。重信の子重政は、慶長5年の関ヶ原の戦功により大和二見、元和2年には肥前日野江43,000石へと加増転封した。


お城へのアクセス
鉄 道: 近鉄橿原線筒井駅〜バス/国道横田
 車 : 西名阪道郡山IC〜国道24号線〜県道192号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
筒井氏三老臣の一つ松倉氏の居城。

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